遅ればせながら、Winnyの作者、金子勇氏が二審で無罪判決を受けた件について。
まず現状のWinnyのイメージについて
たいへん残念なことに、Winnyは現在の社会の円滑な運営を阻害する結果を、いくつも招いてしまいました。
著作権、肖像権に対する侵害を、路上で売買するよりも簡易で大量に、しかも取締りが難しい方法で行わせてしまっています。リテラシーの低さによる問題とはいえ、情報漏えいを発生させる要因にもなっています。
現在の社会において、Winnyは一種のトラブルメーカー的な存在になっています。
だからこそ金子勇氏に対する罪状が、法律的には「それは罪に当たらないのでは?」と思われるような内容であったにも関わらず、ここまで話がこじれてしまいました。
エンジニアの視点から見れば、当時Winnyが見せた大規模なピュアP2Pネットワークは、多くの可能性を感じさせるものでした。
しかし、その可能性を感じることができたのはプログラムやネットワークに対するリテラシーを持った人だけで、それ以外の多くの人から見れば、Winnyは今でも「動画やソフトを違法にダウンロードできるソフト」くらいにしか捉えられていないのではないでしょうか。
今回、無罪判決は出ましたが多くの報道はそれを好意的には書いてはいません。それらの報道によって「監視サーバを持たないP2Pファイル共有=違法・悪」というイメージが再度蔓延し、その技術の芽が摘まれてしまえば、未来のネットワークが持つ1つの可能性が削がれてしまうことになります。
出来ることなら、それは避けたいところです。
Winnyの功と可能性
ではWinnyが、そしてサーバを持たないP2Pファイル共有が社会に貢献できるケースには、どんなものがあるのでしょう。
私は一介のWEBプログラマで、ネットワークは業務に支障がない程度の知識を持っているに過ぎませんが、それでもいくつかの可能性を思い描くことはできます。
1つは、大容量データの手軽な公開です。
例えば私は人工無脳を家で作って遊んでいたりするのですが、その際にWEBをクロールして取ってきた大容量のテキストデータを整形して、言語解析の元ネタ(コーパス)を作ることがあります。
私が作るものはせいぜい数十MBですが、例えばGoogleが公開したN-Gramデータはなんと26GBもあります。
26GBの情報をサーバで公開しようとすると、サーバの領域や回線の維持にかかる費用がネックになって、無償ではなかなか実現できません。
そういったものが、P2Pであれば費用をかけずに公開できます。
「このデータ、役立つかもな」と思ったものが、簡単に世界中に公開できてしまう環境というのは、何かを研究している人にとっては非常に良い可能性を持っています。
1つは、サーバ型で行われているサービスの負荷分散です。
現在、多くの動画公開サイトが赤字に苦しんでいます。これは情報量が多くインフラにかかるコストが高く付くことが1つの原因となっています。
P2Pならそれを軽減できます。負荷が高い時間帯は、ユーザが受信した情報を、同時に受信しようとしている他のユーザに転送するようにすれば、サーバにかかる負荷は大きく減ります。
この方式は海外の動画配信サイトで実際に使われており、つい最近ではNECが同様のサービスを発表しています。
(ちなみに上記のNECのサービスでは、Winnyと比較した図を提示して、これは悪い事はしないシステムですといったような説明が書かれてます)
また、似た用途として、オープンソースソフトウェアの公開にもP2Pは有用です。
先日Firefox3.5がリリースされた際、1日に発生したダウンロード数は500万件でした。もちろん、これらの公開の為にMozilla財団はサーバと回線を確保し、ダウンロードが滞らないよう資金を使いました。
P2Pファイル共有が安全で一般的なものになれば、高い人気を誇るソフトウェアを無償で公開している管理者は、ユーザにP2Pでのダウンロードを促すことで費用をかけずに配布することができます。
1つは、これはあくまで可能性の話ですが、ピュアP2Pで常時ネットワークが稼動されるのが当たり前になると、「サーバもドメインもなくてもホームページを公開できる」ことになるかもしれません。
プロトコルさえしっかりとしていて、一時期のWinnyくらいのユーザが接続していれば、そのネットワーク内で「伝播速度が少し遅い小さなWEB」を実現することも可能です。
現実に「P2P型SNS」というものが海外には存在します。
セキュリティやリテラシが問題になるとは思いますが、その点をクリアすれば、「WEBに情報を発信するのはOSのデフォルト機能」という時代が来るかもしれません。
もう1つ、個人的に興味を持っている分野で、Wi-FiによるP2Pネットワーク形成があります。
Wi-FiはDSなどの携帯型ゲーム端末やスマートフォンなどで使用されている無線通信規格で、つい先日、アクセスポイントなしでデバイス同士を接続するWi-Fi Directが発表されました。
この技術を使用すると、モバイル端末でP2Pネットワークを形成することができます。将来、そういった機能が携帯電話に標準搭載された場合、例えば渋谷駅の交差点周辺には数百のP2P通信可能端末が常に集合していることになります。
そこでネットワークを形成できれば、面白いサービスが実現できるとは思いませんか? インフラなし、ユーザ端末とソフトウェアのみで提供できるネットワークサービスです。
それを実現しようと思った時、そこに集合する端末は、回線速度も違う、頻繁にネットワーク範囲から出入りを繰り返す不安定なノードたちになります。不安定なノードを制御する手法に対して、Winnyは非常に良い実例を提供してくれました。
まとめ
このように、Winnyというソフトウェアが2003年頃(もう6年も前なのですね)に見せた大規模なP2Pネットワークは、今の時代にも通用する可能性をいくつも見せてくれています。
あのソフトが原因で多くの犯罪行為が発生したことは否定できるものでもなく、それを理由に排除しようとする社会的な動きが起きることも理解できます。
ただ、事実として、あのソフトウェアが行った実験がネットワークの、ひいては社会の発展に寄与する側面があったこと(5年間の裁判の間にその価値も多くは失われてしまいましたが、それでも十分に有用なデータです)、そしてP2Pのネットワークが可能性に満ちた素晴らしいものだということ。
そのことは多くの人に誤解してもらいたくない、理解してもらいたいことだと思っています。
最後に
P2Pの技術は綺麗なものだと思います。
サーバ → クライアント型だとモデルが単純過ぎて特に美しさは感じられないのですが、P2P型ネットワークの構成は、適度に単純で、適度に複雑で、適度にバリエーションがあって。
その中でNodeが生まれたり消えたりしてる姿を想像すると、1つの生命の営みのようにも見えて、ああ、美しいなぁと、そんな風に感じたりします。
私がこの文章を書いたのは、有用な大容量データを手軽に且つ安全に公開する手段が普及して欲しいという願望によるところもありますが、たぶんそれ以上に、自分が綺麗だと思ったものが否定されるのが悲しかったからだと思います。
そしてその綺麗だと思った存在が性善説的に扱えないという事実も、同時にとても悲しいことだと思っています。