2009年11月27日

努力は意志の力からではなく、不安や欲望から生まれる

将来の夢は道徳でも欲でもなく、何かを格好いい、美しいと思うことから生まれる。

努力は意志の力からではなく、不安や欲望から生まれる。

欲望を断ち切る力は強靭な意志ではなく、別の欲望によって得られる。


ということを最近よく思います。


私が個人事業主をやっている最大の理由として、定期的に不安が発生することが挙げられます。

私は今は3ヶ月ごとに契約を更新する形式で働いているので、3ヶ月に1度は失業の危険が発生しています。

しばらくの間は働かなくても食べていけるように貯金はしていますが、契約更新時期が近づくとそれなりの不安は感じます。

その不安は、休日に「今日は1日東風荘でもやってダラダラするかな」という意識を、「営業活動しておくかな」とか、「次の仕事先でアピールできるようなプログラムでも作るかな」という意識に変えてくれます。

基本的に怠け者で意志の弱い自分が、不安によって努力できるようになるわけです。


不安にそそのかされて、ただ生きる為に努力するというのは少し味気ないものです。

営業頑張って、単金上げて、切れ目なく働いて、そうやっていても心の中に満たされないものが残ります。

それを満たす要素に、夢があります。

キング牧師ではありませんが、私には夢があります。

3つくらいあるのですが、そのうちの1つは世界を平和にする人工無脳を作ることです。

私は世界平和なんてものには何の興味もありません。私の周囲で戦争は起こって欲しくありませんし、私の大切な人(2人ほどいる)には傷ついてもらいたくありませんが、それ以外の人間についてはあまり関心がありません。

それで何で世界を平和にする人工無脳なんていう変な夢を持っているかというと、昔、世界を救うロボットが出てくるゲームをやったことがあって、その姿が凄く美しいなぁと(男のロボットだったけど)思ってしまったわけです。

ただ、それだけの理由で、私は毎日仕事から帰ってからも、ずっとパソコンの前に座ってプログラムを組んでいます。


しかし単純に夢を叶える為に頑張ろうなんて思っても、なかなか目的に対してストレートな努力を毎日続けられるものではありません。

私は特に飽きっぽいので、昨日はアレに手を出したかと思えば、今日はコレに手を出すみたいな感じで、けして効率の良い努力は出来ていません。

そこで意識していることは、自分の欲望が満たされる中で、最も夢に近づくことを選ぼう、とういことです。

人間、意志の力で欲望に勝てるようになんか出来ていません。少なくとも私は欲望と正面から戦ったら、100戦して98敗くらいの無残な結果に終わります。

昔は苦行に耐えて欲に打ち勝つ力を得ようなんてこともしましたが、ああいうのは一時的な力を得るだけで長期的に欲を曲げ続けることは出来ませんでした。

だから、せめて「今日も1日ドラクエやってよう」という選択肢よりも、「目標とは関係ないけど面白そうなプログラム思いついたから組んでみよう」という方を選ぶようにしています。

ドラクエやりたいという欲望は、「このプログラム組みたい」という刹那的な欲望と「あのロボットを実現したい」という渇望の合算に敗北してくれます。

これが長期的な夢だけだとドラクエが勝ってしまいます。私の場合は。


最近、こういった欲や行動のコントロールをする技量がちょっと上がってきて、より夢に近い方向に自分を持っていきやすくなった気がしています。

今後も自分を操作する能力を磨いて、生きている間に、私が見たいと思っている光景を私の目の前に実現させてみたいものです。

それを美しいと思ってしまったので。




DM20の発売に備えて、ポメラで書いた文章をまとめ中。読み返してると変なこと書いてるんだなぁ自分とか思います。