2010年01月14日

日記的なもの

こんなのがあったら良いなぁと思ったもの。

円周率を計算する暖房器具。

先日、円周率の世界最高桁数がCore i7のマシンで出されたとかいう話を聞いた時に、なんとなく思った。我が家のパソコンを全台起動すると暖房がなくても割と暖まったりする。



人間とは分散である、とかいう訳の分からないことを思う。

例えば全ての人間がアメリカのようなシステムの国に住みたいと思うわけではなく、日本風が良いと思う人もいれば、デンマーク風が良いと思う人もいる。私のように福祉国家を嫌う人間もいれば、自由主義国家を嫌う人もいる。仕事を真面目にする人もいれば、不真面目な人もいる。

そういった個々の人間の違いは、生物としての正しい分散のように思う。もともと、生物の進化とは「より良い方向を調べる能力を持っている」わけではなく、単純な「可能な限りの総当たりを行い、そこで生き残った者を是とする」というシステムから成り立っている。

だからニュースとかで「こんな非常識な人間がいるなんて信じられませんね」という言葉を発している人がいたら、「非常識な人間がいない方が信じられないことだ」と言い返したくなるわけです。



この歳になっても、こうして幸福に生きていられることに感謝してみる。

けして順調な人生だったわけではなく、思ったことが全て叶ってきたわけでもない。ただ、今のところはまだ、私がどうしても失いたくなかったものは、失われずに保持できている。

それは歳をとったら失うんじゃないかと恐れていたことなんだけど、全く失われる気配すらなくて、なんだ、歳をとるって大したことじゃないんだなと思う。



さっぱり使ってなかったTwitterにもう少し触れようと思い、とりあえず有名人をたくさんフォローしてみることにした。

フォローした人を並べてみると、ウォルコット、イブラヒモビッチ、パト、ベンゼマ、などなど。

でも、やっぱあまり使わない。まぁ、人間には向き不向きというのもあるのだろう。

Twitterを好む人もいれば、Mixiを好む人、Amebaを好む人、私のようにコメント機能もない場所でブログを書いていることを好む人、そもそもネットは好まない人。

好みというものも、分散している。それは自然なことだし、相容れない意見というのがあることも自然なことだと思う。