2010年04月25日

日記的なもの

最近、図をけっこう書かないといけない仕事をしているので、ペンタブレットを買ってみる。WacomのBAMBOO。Meidiumサイズ。お値段は2万円弱。

マウスで長時間かけて図を書いていると、右手の筋肉が嫌な感じにひきつってくるのだけど、タブレットだとその辺の疲労もなくて良い感じ。プログラマにとって、手は頭と同じくらい大事な資本だから、多少出費してでも守っていかねば。

家の机がそれなりの大きさがあって助かった。MediumサイズだとA4用紙よりも一回り大きいくらいの大きさになる。ので、机が小さいとけっこう苦労しそう。まぁ、その場合はSmallサイズ買えばいいんだけど。



文章のサンプルをいくつか先方に送ってリアクションを見つつ、構成を考えたりする。5回くらいやり取りして、ようやく自分の中でイメージが固まった感がある。けっこう手間取ったな。最初の意識のズレが少し大きかった。

方向性は、Simple、Short、Concise、Brief。とにかく手短に、簡潔に。ぜい肉はいらない。よもやま話もいらない。笑いもいらない。憧憬もいらない。そのものの本質だけをズバっと切る、と。

堅苦しいこと書くのはけっこうしんどいなぁと思っていたんだけど、なんだろう、本質を切ろうとする試みで文章にあたるのはけっこう楽しいかも。



筋トレ強化週間、3週目に突入。けっこう順調。なんか明らかに引き締まった。

これまでは腹回りがポテっとしていたのが、たるみが消えた。まだ少し横腹が引き締まってない感じもするけど、先週から側筋のトレーニングを増やしたのでそのうち改善されるだろう。

あと1週間くらい頑張れば、健康診断とか人前で脱ぐ時に腹に力を入れて誤魔化したくなるような状態からは抜けられるのではないだろうか。良いことだ。



前にも書いた気がするけど、私は人生とは贖罪と同義だと思っている。というのも、贖罪だってことにしておけば何かと都合が良いので。

自分自身が罪人だと認識していれば、ほとんどの理不尽な事象に対して腹を立てないで済む。贖罪だと思えば、苦痛だと思える行為も受け入れられる。

もし自分の心が救いを求めるようになってしまったら、どうなるだろう。許される場所を見つけてしまったら、どうなるだろう。今より世の中が面倒なものになるんじゃないだろうか。

だとしたら、そういうものとは距離を置いておいた方が良いのかもしれない。と、思ってはいるのだけどなぁ。なんか引き込まれてる気がする。ふむ。