先日、文章関連の仕事のスケジュールが少し遅れていたので、取り戻そうと思い徹夜して一気に書くという手を使ってみたのだが、これがさっぱりうまくいかなかった。
書いた時は「あー、進んだ、進んだ」と思ったのだが、翌日一眠りしてから見直してみると、内容は伴わないし、わかりづらいし、ところどころ意味が通らないところがある。結局、その時に書いた文章はほとんどお払い箱になってしまった。
プログラミングであれば、たとえ徹夜してもそれなりに使い物になるものが書ける。場合によっては細切れに時間をとって作業するよりも効率が良いと思えるケースさえある。
つまり、プログラミング言語は注意力が落ちた状態でも記述が可能であり、逆に自然言語は注意力が落ちた状態では記述できない、ということになる。
なぜプログラミング言語は徹夜してもそれなりに書けるのか。それはおそらく、教師が優秀だからだろう。
教師の名は、コンパイラかインタプリタか結果コードかはわからないが、とにかく正解か不正解か、わかる結果を返してくれるヤツだ。書き方が悪ければ注意(Warning)もしてくれる。
しかし自然言語でその言葉がちゃんと伝わるかは、時間を置いてから読み直してみないとわからない。スペルチェックなんてものもあるが、アレが役に立つことなんてほとんどない。
現在のLightWeightな言語を使って機械に「こういう処理を実行して」と伝えるのは、他人に伝わる文章を書くよりいくらか簡単なように思える。