Ruby on Railsのアプリを作ってリリースする際に、putsで標準出力をしている記述が目についたので、grepしてまとめて削除したらアプリが動かなくなった。
消す前との差分を見てみたが、標準出力部分以外を間違って消すようなことはしていない。
これはもしや、メソッドの末尾でputsすることによって戻り値がnilになってたのが、何か値が返るようになってしまってバグったかな。やっぱり戻り値を最後に評価した値で返すなんて邪道なんだ、と宗教的な高揚感とともにそれっぽい記述を探してみるも、該当するような箇所は見当たらず。
なんだろうと思って消した箇所を1つずつ見ていったら、カウンタをputsの中でインクリメントしている記述を発見。
puts "Counter : #{(counter += 1)}"
みたいな。で、カウンタが回らなくなって動かなくなっていただけだとさ。なんか微妙なオチだなぁと残念に思った。
何かをアウトプットするというのは、本当に勉強になると思った。1つのことを書こうと思うと10の知識が必要になる。
子供の頃、もっとも良い勉強方法は人から教わることではなく、人に教えることだ、みたいな話を聞いたことがあるけど、確かにそうだよなぁと思う。
考えてみると、前から何かを勉強する際に自分はブログやらサイトやらに説明記事を載せるという手法を取ってきた。ああいうのもけっこう効果的なんじゃないかと思う。自分の場合、漠然と「勉強しよう」と考えるだけだと、すぐ飽きて投げ出してしまうし。
RFCを読む日々。HTTPとかURIとか。前に読んだことはあるはずなんだけど、まぁ、見事に忘れてますわな。
邦訳を読んでざっと勘どころを見てから英文を読み、さらに昔のバージョンにさかのぼったりする。正しい知識という意味ではRFCほど信頼できるものはない。「だってRFCにそう書いてあったんだもん」と言えばたいてい許される(ような気がする)から。
とはいえ、RFCに書いてあることを記事にするかというとそうでもなく、正しさを担保したいというのが大きい。初心者用の本のURIの説明にオーソリティなんて言葉が出てきても嫌だろうし。
正しさっていうのはけっこう難しい。世の中には嘘の情報もけっこう出回っているし、いつの間にか嘘が本当に化けたりするし、曖昧な情報も多い。「どこまでがRESTで、どこからがRESTじゃないのか」とか、「どこからがSNSで、どこからがSNSじゃないのか」とか、「このサービスはクラウドですか」とか。
我々がある人間を憎む場合、我々は彼の姿を借りて、我々の内部にある何者かを憎んでいるのである。
ヘルマン・ヘッセの言葉。まったくその通りで、私が嫌う人間はどこか私に似ている。今、どうしても嫌いな人間がいて困っているのだけど、どこが嫌いって、私が「なんとかして自分のここを直そう」と思って努めている部分について、見事に負の振る舞いを見せてくれるのだ。
他人を無視することは容易い。だけど自分を無視するのはとても難しい。
筋トレ強化週間を始めて5週間。体重は2kg減で体脂肪率は13%にまで低下。だいぶ絞れた感がある。
しかし筋肉量の増加は途中で止まってしまったようで、まだ少し頼りなさがある。やはり筋肉の量を増やすには適切な運動と適切な栄養が必要ということか。プロテインとか。
まぁ、だいぶ許せる体型になってきたので、当面はこれを維持すれば良いだろう。何ごともやり過ぎは良くないし。