2011年01月21日

日記的なもの

ようやくScalaに慣れてきた。快適だ。Scalaは快適だ。これがベストな回答かと言われれば、いろいろ言いたいことも出てくるだろう。そもそもJVMに縛られている時点で、どこかにいびつさは出る。でも、十分に快適な回答だと思える。2年後にはTIOBEでベスト15入りするに1票。

その言語が使えるかは、5つの要素が絡んでくる。

・書き心地
・安定性
・資産
・将来性
・案件の量

書き心地が良くてもバグが多くて安定しないとか、ライブラリが少なく自前で作らないといけないものが多いとかだと、あまり使いやすいとは言えない。

また、言語を学ぶのはそれなりに時間がかかることなので、将来性に不安がある言語を学ぶのは気分的に辛い。

そういう意味では、新進の言語でありながらJavaの資産が流用でき、動作もそれなりに安定していて、大企業で使われたりEUから開発費が出たりと良いニュースが聞こえるScalaは学ぶ気持ちが起きやすい言語だと思われる。

案件の量はまだ皆無だけど。



先日、デュアルコアAtomを積んだEeePCを買ったと書いたが、これがけっこう良いようだ。私はさらっとしか使ってないのでアレだが、Windows7のStarterが重くなく動く程度の性能は十分にある。使用者はYoutubeを後ろで流しながら作業しているけど快適と言っていた。まぁ、それくらいなら十分に耐えられるだろうな。当人が以前使っていたのがPen4のXP機(デスクトップで、メモリ1GBだったかな)らしいので、それと比べるとかなり快適だと思われる。

というわけで、これまでCPUはCeleron E3400(2コア、2.60GHz。Amazonで3千円台)くらいで十分だと言ってきたけど、Atom N550でも一般的な用途(ネット、表計算等)なら十分だと言うようにしてしまおうかと思う。

ところで、今までデスクトップで必要な時だけパソコンの電源を入れていた人が、EeePCのようなどこにでも置けてすぐ起動するノートを持つと、パソコンの利用頻度が大きく上がるらしい。ついつい触ってしまうようになるとか。

世の中、このブログの読者層のように「Q. 家に帰ったらまず何をしますか」「A. パソコンの電源を入れる」という人ばかりではない。むしろそういう層は(驚くべきことに)少数派だ。でも、パソコンがすぐに手を出せる場所で待っていて快適な動作が保証されるのであれば、利用頻度は上がるのなのかもしれない。パソコンは触らなくても携帯は触るように。リビングでiPhoneを触るように。

そう考えると、今後の業界がスマートフォンやタブレット機などにシフトしていくことは自然なことなんだろうなぁと思う。個人的には打ちやすいキーボードが付いてないデバイスにはまったく良さを感じないけど、そういう人間は(驚くべきことに)少数派なのだろう。いいさ、少数派は恐竜の夢でも見ながら絶滅するさ。



最近、Webを使った教育コンテンツの作成を試している。一冊の教科書によって何かを教えるんじゃなくて、URLを提示して、それに対して何を思うか、みたいなことを一緒に考えるような1日15分でできる教育コンテンツ。

さっそく試してもらっているのだけど、効果は出るだろうか。ゆっくりと経過を見守りたい。



人間は「なんらかのグループ」に所属して、それに対して「貢献」したいと考える性質があるようだ。

ネトゲとかソーシャルゲームを見ていると、けっこうそういう傾向を目にすることができるんじゃないだろうか。会社のために身を粉にして働くとか、宗教に入って貢献することを喜びとする人がいるのも、共通した要因を含んでいるんじゃないかと思う。人種差別行為というのもそれに類するものなのかもしれない。

もちろん私にもそういう傾向はある。私の場合はプログラマというグループの中に自分が所属していると知覚していて、それに貢献することをして評価されると嬉しいと感じるわけだ。この前書いたIgoの記事なんてのは、自分の貢献への欲求の在り方なんじゃないかと思う。

せっかくならこの「貢献」という欲求を利用して、自分にとってプラスになるような状況を作りたい。

例えば、宗教に入って300万の壺を買うというのは所属するグループに対する大きな貢献になるわけだが、当人の資産的にはマイナスになる。いわゆるWin-Loseの関係。

WinnyやShareで動画を共有して「貢献」することを喜びとする人もいるけど、「逮捕」というリスクに身を晒すことになるのを考えればこれもWin-Loseになる。

じゃ、「貢献」というのは自分をマイナスにして相手に「貢ぐ」ことかと言うと、そうでもない。貢献への欲求によって突き動かされて行動したことが、結果的に自分の生活を豊かにすることだってありえる。

例えばオープンソースに対して寄与したいという「貢ぐ」考えから一生懸命活動していたら、それが評価されて有名企業からヘッドハントされて収入が倍増する、なんていうシチュエーションは現実でも考えられる。

とあるIT関連の用語を取り扱うサイトを運営していた人は、用語を調べることは勉強になるし、ついでに購読者は楽しんでくれてるみたいだし、良いことづくめだなぁと思ってやっていたら、いつの間にかそれが書籍になって印税までもらえてさらに良いことづくめだった、なんて風に思ったとか思わなかったとか。

いかに自分の欲求を理解して、それに対して突っ走らせるか。その辺りをもう少しうまくコントロールできるようになれば、自分ができることの量ももっと増えるんじゃないかなぁと思う。