仕事、仕事、仕事。いつまで経っても仕事。ミヒャエル・エンデも驚くくらい終わりが来ない仕事。
どれだけ書いてもendが来ないソース。{ }で閉じる仕様なのだろうか。それともPythonなのだろうか。いや、ただのSyntaxErrorだった。
休みを取らずに1ヶ月以上働いていたら、急に無理が効かなくなって2度ほど体が動かなくなった。どうやらこのあたりが自分の限界のようだ。
サイトやブログに掲載していた「仕事募集」的なリンクを外すことにする。先週来た依頼も、今週来た依頼も断った。ごめんなさい。眠いんだ。もう、いいよね。
この眠さの中で仕事としてプログラム組むのはもう無理なんだ。だから明日からは眠さを耐えて趣味のプログラムを書かせておくれ。
過労の怖いところは、それによって正常な判断力が失われるということ。
過労死っていうのは、まず過労によって自分の身を守れるだけの判断力が先に失われて、それが継続することで死にまで至るというところが恐ろしい。
「もう無理」と思った時に、「でも、やらなきゃ」という一方向に思考が偏ったら危ない。いかにして「ダメージ少なく逃げる」ことができるか。その辺を考えて行動できれば、なんとかなるんでないかと思う。でもそこで踏ん張って真正面から突破できたりすると、ちょっと人間やめれた的な気持ちになって、それはそれでいいかなぁと思えたり。さじ加減が難しい。
それから正常な判断力が失われると、効率良く行動するとか、無駄を省くとか、適切な休息を取るといったことができなくなる。
疲労している時は、たとえどれだけ疲れていても、頑張って疲労回復に努める。これは忘れてはいけない。風呂、ストレッチ、温熱タオルなどによる眼精疲労や肩こりの予防。それからできるだけ良い状態での睡眠。同じ休息時間で、どれだけ効率良く疲労を取るか。
あと、今回試したことのなかで、ジャムが良かった。疲労が溜まると食べることも負担になってくる。でも、脳が疲労すると甘いモノが欲しくなる。そこでイチゴとかリンゴを煮こんでジャム状にして食べる。砂糖は加えない。
これがけっこうおいしかった。加熱によって栄養価はだいぶ失われているはずだけど、飴とかガムよりは作りたての温かいジャムの方がいいのではないだろうか。切って煮詰めるだけなので、手間もそれほどかからない。
GWが近い。ここで体調を整えつつ、久々に修行したいと思う。仕事をしていると経験は手に入るけど、意外と知識は手に入らない。
知識と経験というのは、2つをバランス良く積み上げていかないといけない。サンドラの大冒険の、あの人が上ることを拒絶するかのようなリフトのように。うん、きっと通じないね。でも、通じた人は「なるほど」と思ってくれると思う。
知識を得る → それを実戦投入する → 経験を得る → さらに知識を得る → 実戦投入 → 経験を得る。こういうループ。
この時、知識だけとか経験だけだと、片手落ちになってしまいやすい。私はよく片手落ち状態で残念な人になっている。だから勉強。
他の人と自分の仕事の仕方を比較していて気づいたのだけど、自分はけっこう周到に、そして執拗にネマワシをする方らしい。
自分は「すべての行動は、プラスになるかマイナスになるかを判断した上で行うべし」というような信条のもとに行動している。マイナスになることをやっても意味がない。やりたくないことをやるのも微妙。それなら、やりたいことの中で、自分にとってプラスになるものを選択すればいい。そんな考え方。
そういう考えが根付いてしまって無意識で行うようになっていると、自然と自分にとってプラスになるような布石をバラ撒くような行動を取るようになるらしい。
この考えってけっこう重要なんだなと再認識。
自分が努力することを対価とする選択肢の大半は「自分にとっても、周囲にとっても、プラスで、それでいて世の中的にもプラス」なものが多かったりする。
人生短いから、できるだけプラスを積み重ねて、面白みのある人生にしていきたいところ。