Now Coding...
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だいたいそんな1週間だった。
今日の日記のテーマは「利得」。
「自分はまともだ」と思っている人間にまともなヤツはいない、なんて言われることがある。
自分をまともだと思っているということは、「自分のルールが正しい」と認識しているということ。
人間は人それぞれ違った価値基準を持って生きているので、自分ルールを正しいと認識して行動すると、他人との価値基準との間に齟齬が発生することがある。
「自分はまともだろうか」と不安に思っている人間であれば、自分のルールよりも周囲のルールを気にするため、周囲の平均的な価値基準に則った行動を取りやすくなる。
そのため「私はまともだ」と思っている人間の行動は、「そうではない」と思っている人間よりも、平均から外れた行動になりやすいのではないかと推測してみる。
とりあえず私は、私以上にまともな人間に会ったことがない。
周囲の行動について理解できないこと。
利得をしっかり考えずに行動する人が多いことは、けっこう戸惑う。時間を有効に使うことを意識しない人も理解できない。
それはおそらく、自分が持つ利得に対するスコア基準が、未来に得られる利得に対していくらかの偏りを見せていることが原因ではないかと思われる。
ゆったりと時間を潰すような生活を楽しんでいる人は、現状を満ち足りたものとして認識していると考えられる。
不平不満を言いながらも現状を変えようとしない人は、変化に対して行動を促すほどの利得を感じない、つまりはそれほど大きな不満を持っていない人とも言える。
現状に納得できず、もがくように行動を続ける人間は、周囲が見れば「頑張ってる人」に見えるかもしれない。でも、それが立派な行動なのか、正しい行動なのかと考えれば、いろいろと異論も出るところ。
私は私の中で築かれているスコア基準に対しては、かなり正確に正の行動ができていると思う。でも、そのスコア基準そのもののの正当性はどう検証されるべきなのか。
これがなかなかに難しい。キルケゴール先生に聞いたら、「それは絶望だ」と言われた。
自分の中で「性欲」に対するスコア付けがかなり低位になりつつある。
今週末は女性と会う機会が2度ほどあった。若い頃はどこかに下心を内包した状態で会うことも多かった気がするのだけど、最近は偶然いい雰囲気になったりしない限りは意識の端にも昇らなくなっている。
これは単純に年齢的に「枯れて」きたというだけの話か、もしくは自分のスコア付けが未来に向き過ぎた影響なのか。
性に関する話は長期的な利得で考えると、プラスになることが少ない。
もし意図的なスコア付けのコントロールによる影響が、生物本来の欲求の1つを低位に落とすことに繋がったとしたら、それは面白い成功例なんでないかと思う。
食欲についても「アレを食べたい」という意識が消えて、「今日採ったタンパク質が40gで、カロリーが1100kcalくらいだから、夕食のメニューは・・・」という考え方になってきている。
塩分が多いと判断した時はドレッシングもかけずに生で野菜をバリバリ食べたりするところを見ると、味というものにはろくなスコアを振っていないようにも見える。
この手の行動はスコア付けの影響なのか、それとも単純な年齢による衰えなのか、今ひとつ判断がつかずにいる。両方とも多かれ少なかれ影響はしていると思うのだけど。
手持ちのパスワードの中にだいぶ長く使ったものとか強度的に不安なものがあったので、ちょこちょこと入れ替えてみる。
たいていは何らかの意味があるフレーズを、機械で推測できないような形に変換して使ってる。たとえば熱情の律動(デンデデッデデレデンデ)という言葉を変換すると、Ntj-nR2doとかにできる。
パスワードは文字数が増えると打つ時にたいへんだけど、同じ文字を3文字続けるくらいならそれほど苦にはならない。ので、適当に最後にddd(デンデデッデデレデンデ)とか加えればより強度は上がる。
熱情の律動のような辞書で引ける単語はアレなので、意味はあるが辞書にはない文章を素にしたり、自分ルールで記号とかも加えたりすれば、機械的な推測はほぼ不可能になる。
でも、頭の中で覚えておけるフレーズには限度がある。頭の容量をもう少しうまく増やせれば、パスワードの頻繁な変更もできるのだけど。