2011年08月05日

日記的なもの

仕事で失敗をする。いや、成功を取り逃がしたと言うべきか。

前からいろいろ計画していて積み上げていたものを、タイミングを誤って逃してしまった。ほんの少しタイミングが違ってればうまくいったはずなのだけどなぁ。

まぁ、仕方ない。手を尽くしても失敗する時は失敗する。

今の仕事もだいぶ長いし、この機に環境を変えて別の仕事に移ろうかなぁと思ったりもする。

もしフリーの人間でも関われる面白い仕事あったら、誰か紹介してください。ありきたりじゃない、一風変わった仕事とかやってみたいです。特技はプログラミングとネマワシです。割となんでも役に立つ人間です。



連想クイズ

・下手なことを言うと闇の軍団に襲われる
・鼻から悪魔が出てきても文句を言えない
・言語仕様を可視化すると呆れるほど巨大な図になる

というタイプのクイズを作ったらウケるかなぁと思った。作らないけど。



予備用のノート(CerelonM)がさすがに時代遅れの代物になってきたので、買い換えようと思う。

E-350の安いヤツでも試してみようかと思ってたら、A4-3300M積んだヤツが3万円代で出るとかいうニュースを見てしまって気もそぞろ。

我が家のIntel率をこれ以上下げるのもなんなので、無難にCore i3載せたヤツでも買っとこうかなと思ったりもする。

悩む。



プログラムに集中できなかった期間は、無駄に小説のプロットとか作って遊んでいた。

邯鄲の夢はほんの僅かな時間で1つの人生を体験する。つまり夢は一生を短時間に濃縮できる。

夢の中の期間を30年とし、1年間、毎晩のように邯鄲の夢を見続けたとしたら、その人は1万年を生きたことになる。

という発想がメインのお話。

これまでの人生で得た情報を組み替えながら、365通り(もしくはそれ以上)の人生を用意する。

それがコントロールできるとしたら、人はどんな夢を望むのかな。



インターネット上では、マスメディアはレベルが低いという種の発言がよくなされているようだ。

マスメディアというのはもっとも母数が多いところに向けて情報を発信する。もっとも母数が多いところはどこかというと、平均周辺の知識レベル。

そこを汲み上げようとすると、レベル的に平均よりも少し下を狙うと効率が良い。これは政治にも言えることだったりする。

人によるレベルの高低の判断は相対的に行われるものなので、今後、人間の知識レベルが上がったとしても、マスを狙ったコンテンツは相対的には平均以下のラインにあり続けるんでないかと思う。

でも、それは相対的な話であって、絶対的な位置を上げることはできる。



餅は餅屋と言うけれど、ケーキ屋に餅を作らせたら予想外のヒット商品が出来上がることもある。酷い失敗作になる可能性もあるけど。

そんな感じの予想外の取り合わせっていうのは、見ていてちょっとワクワクする。

既存のものを2つ組み合わせるっていうのは、開発自体は簡単で、けど、意外とまだ手を付けられてないパターンだったりすることがある。シナリオで言えば、吸血鬼と特撮とか、ラブクラフトと手塚治虫とか。

自分も一生に一度くらいは、そういうありそうでなかった組み合わせっていうのを作ってみたいなぁと思う。