2011年08月26日

日記的なもの

カミュの転落を読んだ後に文章を書いたらこうなった。この小説はけっこう人を狂わせるところがある。



アルベール・カミュの転落を読まれたことは? ありませんか。そりゃ、結構。

なぜ結構かって? 毒だからですよ。とかく文学というヤツは毒なのです。もちろん、すべてじゃない。でも大半は毒物ですな。

文学好きってのは毒物愛好家みたいなものですよ。三島由紀夫の毒。太宰治の毒。谷崎潤一郎の毒。言っている意味は伝わりますかな? 少しは? そりゃ、結構。

ところであなた。あなたは良い職業に就いてらっしゃるようだ。そう、人から賞賛を受ける仕事ですな。

分かりますとも。知っていますかな? 人が浴びた賞賛は背中と肩に残ると。どんな風に残るかって? ほんの小さな違いなんですがね、何人もそういう人間と会ってよくよく観察していれば気づきますよ。

私ですか? 私は見ての通りありきたりな人間ですよ。ありきたりな収入に、ありきたりな立場。あなたとは違う側の人間ですな。

これでも昔はちょっとは派手にしていた時期もあったんですがね。独立して、仕事に成功して、月に100万以上稼ぐことも少なくなかった。

しかしダメですな。私には成功ってのが向いてなかったらしい。成功ってのは文学以上に毒ですよ。

成功のどこが毒かって? ご存知ない? それはあなたがよっぽど欲深いか、それともまだ気づいてらっしゃらないだけでしょうな。

成功すれば金が入る。そりゃ、いいことですよ。毎月放っておいても使い切れないくらいの金額が振り込まれる。多少無茶な使い方をしたと思っても、通帳の数字はびくともしない。黙々と増え続ける。

仕事ができりゃ賞賛だって得られる。同業者からも客先からも尊敬される。褒められて嫌な気持ちになる人間はいませんからね。いい気分ってなもんですよ。

しかし金が積もって、賞賛が積もっていくうちに、だんだん息切れしてくるんですよ。このまま行けば私は無理をしなくてもそこそこに生きていけるってことに気づいてしまうんですな。もう頑張らなくても十分に満足した生活を送れると、そう思ってしまうわけです。

そうなったら、もうダメだ。身体が重くなる。成功を掴むために踏み出した足が止まってしまう。あと一歩進めばより良い成功が待っていると分かっているのに、身体がそれを求めなくなる。

私はね、強欲な人間ほど尊敬に値すると思ってるんですよ。彼らは何億って金を掴んで、たくさんの人間から賞賛されても、止まらずに働き続けることができるでしょ。たとえ働く理由が底なしの強欲にあったとしても、彼らが働いて何かしらを生み出してるってのは確かなんですよ。少なくとも、私のように欲が枯渇して身動きが取れなくなる人間に比べりゃ、よっぽど世の中にとって面白い存在だと言えるでしょう。

欲というのはその人間が歩ける距離の限界でもあるんですな。たいていの人間は多かれ少なかれ、自分が生きていくに足りるものを得てしまえば足を止めてしまう。しかし欲深い人間はどこまでも歩いていける。

私はこれでも抗ったんですよ。欲が消えていくのを感じながら、10年近くそれに抗い続けてきたんです。

もしかしたら大不況で仕事が一切なくなるかもしれない。もしかしたら事故に遭って働けなくなるかもしれない。だから今稼がなきゃ。そんな風に不安を煽って自分を駆り立てた時期もありました。偉人と言われる人物の逸話に触れたり尊敬する人の仕事ぶりを見て、心を奮い立たせようとしていた時期もありました。

でも、ダメでしたな。どれも小手先で、本当の意味で動く力にはならんのです。今でも細かな材料を見つけては燃料にして細々と前に進んじゃいますがね。重たい足を引きずって、とぼとぼと歩くことしかできんのです。私の身体は現状に満足してしまっているのでしょうな。腹立たしいことに。

あなたはどうですかな。まだお若いようだが、それでも十分に成功していらっしゃる。あなたはいつまで今のままでいられますかな。成功の毒を浴びても、毅然としていられますかな。

あなたくらい成功していれば、まもなくそれは訪れるでしょう。もしかしたら気づいていないだけで、すでに来ているのかもしれない。いや、気づいてさえいるのかもしれませんな。まぁ、じきに分かるでしょう。

でも、ご安心を。気づいた時には遅過ぎるんです。いつだって遅過ぎるでしょうよ。ありがたいことにね。



とりあえずこんなことを言えるくらいには成功したいものだ。