2012年01月28日

日記的なもの

今月自分が書いた記事のタイトルを見直してみたらJava系が大半を締めていた。

Scalaばっか使っていて、且つ、枯れてないところは避けるようにしていると、自然とJavaを調べる回数が増えてくる、ということなのかもしれない。

最近はほとんどのコードをScalaで書いている。

ただ、WebだけはいまだにRailsを使っている。やはり手軽で便利。Playをもう少し使いこなせるようになれば浮気できる可能性もあるような気がするのだけど。

まぁ、あまり揃え過ぎてしまっても良くないので、ところどころ別の言語を使う機会は設けておくとするか。


久々に知り合いと食事に行くなどの用事を3件ほどこなしてみる。

コミュニケーションというのは日々続けていくことで能力が向上する。最近ろくに人と会っていなかった自分は、実感できる程度にコミュニケーション力の低下が見られた。

切り返しが遅かったり、声のトーンの抑制がたまにうまくいかなかったり、目線や身体の向きが適切でなかったり。

この辺は人と長話しする機会を増やしていけば徐々に回復するものなので、しばし訓練して勘を戻そうと思う。



人にはそれぞれ心地良いと感じるコミュニケーションの形がある。

毎日帰りに飲みに行って取り留めのない話をするのが好きな人もいれば、Twitterに書きこむのが好きで数分に1回は何かつぶやいている人もいる。

「今日は○○を食べに行った。おいしかった」とか、「こういう記事を見かけた。面白かった」といったことを共有するのが好きな人もいれば、私のように「今日はこういうライブラリを使ったので使い方をまとめてみた」といった内容を共有するのが好きな人間もいる。

私がブログを書くのは、コミュニケーションの1形態だと思われる。

コミュニケーションというのは両者にとって心地よいもの(感覚的なWin-Win)であった方が良いし、両者にとって有益(実利的なWin-Win)であった方が良い。それを追求していった結果として、今の私が書いているものは存在するのではないだろうか。

内容を見る限り、実利的な方が若干強めに優先されている気がする。多分、今の自分の嗜好がそうなっているのだろう。そろそろ月に帰るべきだろうか。



そこそこの難易度のある問題を解くというのは1つの娯楽である。

これは恋愛なんかでよく実感できる。落とすのが難しい相手の方が燃える。ロミオとジュリエットみたいな障害があれば、難易度が上がってよりハマリやすくなる。

頭が良くなろうが悪くなろうが、適切な問題ってのは難易度が変わるだけで本質的には変わらない。

それらを解いて、ちょっとした満足感に浸って、また次の問題を探す。新しいゲームを見つけてクリアしては、次のゲームを探すみたいに。

人生ってのは見方によっては、そんなふうに映ることもある。



自分がこれまでに解いた問題の中で一番心に残っているのが、1人の女性に幸せになる方法を伝えて、それがうまくいったこと。

伝え終わるまでに5年くらいかかった。

人に教えるということは、自分自身が学び直すということでもある。その人が幸せになるように、あれやこれやと手を尽くしたことは、自分にとってとても良い経験になっている。

また、人との関係性において有為な振る舞いができたという事実は、自己に対する自身による評価を高めることに寄与している。



スポーツにおいて誰が勝つか決まっているという状態は、ライトなファンにとっては分かりやすい状態と言える。さすがに毎回優勝が変わらないのでは面白味に欠けるので「AかBのどちらが勝つ」とか「Aが6割方勝つけど他にも4割くらいチャンスがある」くらいが丁度良いかもしれない。

例えばバルサかレアルが勝つとか、ヤンキースかレッドソックスが勝つとか、ベッテルが勝つと思うけどハミルトンかアロンソが来ることもあるかもとか。いや、去年のベッテルは少し行き過ぎだな。

そういう意味ではここ数年の男子テニスはずっと分りやすい状態が続いているので、日本人の新しいファンが入りやすいのではないかと思った。もちろん分りやすい状況でも、日本人選手以外に興味を持つ層は少数ではあるけど。