2012年02月26日

日記的なもの

サイトに関連エントリー機能を付けてみた。下記のページのようにレフトナビに入れてある。

http://www.mwsoft.jp/programming/lucene/more_like_this_wikipedia.html

これは自サイトの全文書をSolrに放り込んで、上記URL内でも使っているMoreLikeThisでスコアが高いもの上位5件抽出したもの。

VPSにSolrのサーバ立てても良かったんだけど、ページを呼ばれるたびに毎回MoreLikeThisリクエストが来てもらっても困るので、全ページの結果をJSON形式で保存して読み込むようにした。

新しい記事を書くたびに再生成しないといけないのが面倒だけど、自動化して流せるようにしておけばそれほど手間でもない。実行時間も今のところ30秒くらい。



最近、Google検索がこちらの入力を無視した結果を返すことが増えている気がする。

例えばVIntWritable(HadoopのIntWritableの可変長版)を検索すると、「IntWritableのことだと思ったからそっちで検索しておいたよ。VIntWritableで検索したかったらこっちクリックしてね」と返ってくる。

前からちょこちょこ出ていたのだけど、最近、見る機会が増えてきた。サービス的にそういう変化が起きているのか、それとも自分が検索するワードの傾向がそうさせているのか。

自身のタイプミスが原因であれば「俺が悪い」と捉えるので、そのサービスに対して悪感情は生まれない。ところがサービス側がこちらの意図に反する変換を勝手に行った場合は「余計なことをされた」という感覚が残ってしまう。



視力が低下している気がしたので(パソコンの字が小さいと感じることが増えた)、遠くを見るなどの目の体操を取り入れて対応中。

自分の視力は0.5〜0.7の間くらい。今のところ裸眼で問題なく生活している。ただ、免許の更新があるたびに「裸眼で通るだろうか」と不安になるレベル。

この程度の近視であれば、生活の端々に目に良い行動を取り入れるだけで回復は可能なようだ。もちろん気を抜けばまたすぐに落ちてしまうわけだけど。

近視というのは生活スタイルによって発生している場合も多い。

身体の衰えを気にしてジムに通うように、目の衰えを気にして眼球の体操を取り入れるというのも、1つの選択肢としてはありだと思う。諦めて眼鏡やコンタクトに手を出すというのも、もちろんありだと思う。



冬場に寒さ対策として体重を少し増やしていたのだけど、そろそろ寒さも和らいで来そうなので減量を開始する。

減量中は意識的に食事の量を増やすようにしている。カロリーが不足している状態で、なおかつ満腹感も味わえなかったらストレスで続かなくなる。せめて食事の時は満腹感を持てるように、炭水化物や水分の摂取タイミングを前に持って行ったり、野菜や腹持ちの良い低カロリーな食材を多めに摂るなどしている。

あとは筋力を落とさない様にトレーニングもしっかりやる。

減量時は体脂肪率を何%くらいにするかで毎回悩む。減らし過ぎると風邪をひきやすくなったり体力がなくなったりするので、15〜17%くらいにしておくのが良いだろうか。



確定申告の作業がさっぱり進まない。

お約束として部屋は驚くほど綺麗になった。掃除楽しい。

あとサイトの新レイアウト移行がかなり進んだり、ついでに古くなった記述をちょこちょこ直したりもしてみる。

何かをやりたくないっていう気持ちはうまく使えばエネルギーになるし、使い損ねると何もする気が起きない状態になったりもする。

とりあえず自分にとって良いことをしているうちは見逃しておくことにする。



割とありきたりな表現だけど、人生ってのはやっぱり砂の城に似てるなと思った。

作っては流され、作っては流されを繰り返し、最後には波に運ばれてまっさらな砂浜に戻る。生きているうちは何度でも作り直すことはできるけど、死を迎えたらそれも叶わなくなる。

死後に残された砂の城は少しずつ風化し、波に削られ、そのうちそこに存在していた痕跡も消える。

稀に何百年も残り続ける城もある。有名な画家が描いた絵とか。

自分の城が死後も残り続ける。それは素晴らしいことのように見える。けど、死後ってことはそれをいくら賞賛されようが自分には届かない。

それなら刹那主義に走って今この瞬間の城を大切にするって考え方もアリだと思うし、5年とか10年とか長いスパンで見て城を作っていくのもアリだと思う。もちろん自分の死後にも残ることを考えて作るのもアリだと思う。

私はあまり遠い目で将来を見ることは苦手だから、明日と3年後の2つをこまめに見ながら生きていこうかなと思う。