フリーの英語のサウンドノベルに手を出してみたところ、思ったより面白くてうっかり延々プレイし続けてしまった。こうした行為は英語を読む速度の向上に繋がるので、没頭し過ぎても自制はしないことにしている。
フリーのノベルを面白いと感じられたのは、おそらく日本語で見たら微妙だと感じる表現でも、英語だとしっかり理解できない分、素直に受け止められてしまうことがあるのではないかと思う。
それは多分、今まで延々と触れ続けてきた日本語では感じられない良さ。子供の頃に本を読んだ時の高揚感に似ているところがあって悪くない気分がした。
こういう感覚はちょっと幸せだ。
環境を変えれば人間は変わる。能動的に言い変えると、自身の変化が必要であると感じるのならば、それに見合った環境の変化を起こす必要がある。
早い話、引越しをして、仕事を変えて、携帯番号とメールアドレスを変え、移転先を周囲に伝えなければ、人間は変わる。
人間というのは周囲との関係性においてその人間たりえる。関係性が失われれば、過去の記憶や経験は残りこそすれ、多くの自己と呼べる箇所が新しい関係性において置き換えられることになる。
現在の関係性の一部は、現在においてはけして効率的とはいえない過去の自己を引きずっている場合がある。現在の自己をより反映した関係性を欲するのであれば、過去の関係のリセットは効果的であり、またそうすることにより現在の自己に近い関係性の創出が可能となる。
現状に不満を持っているということは、関係性のリセットを長期に渡って怠っているのではないだろうか。
というわけで、仕事とか人間関係を少し見直してみることにする。とりあえずもっと辛くて苦しい場所に行こう。生きていくには適度な辛さが必要だ。Wさんは辛くないと死んでしまうんだよ。
流行って欲しいなぁと思う言葉。
狭量。
世の中にはいろんな言葉が流行ったり廃れたりする。その中で、狭量って言葉が流行るとなんとなく気分が良いんじゃないかという気がした。
主な使い方は誰かが何かを咎めるような発言をしたに対して「その程度のことで目くじらを立てるのは狭量だよ」と言う。去年流行った「不謹慎」の対照的な位置にある言葉だと思う。
器の大きな人間になりたいものだ。人を狭量だと咎めずとも受け入れられるくらい大きな人間になりたいものだ。
そういえば冒頭で書いたサウンドノベルに陸上をやっているキャラが出てきたので、つられて自分も走り始めた。自分の行動は物語に影響されることが多い。
現実の周囲の人たちに影響されると、志が低くなってしまうことが多い。けど、物語の中の人間に影響されると自然と志は高くなる。
周りに志が高い人が多いなら良いけど、そうでない場合は現実を見るよりもそこから逃避して物語の世界と触れ合った方が努力できる。これを能動的現実逃避(仮)と呼ぶことにしよう。
この時、現実の人間に対しては影響を受けない程度に距離を置くことになるが、現実の結果からは距離を置いてしまってはいけない。そうしてしまうと普通の現実逃避になってしまう。
物語の中に含まれる高い志を受け取って、それを現実に投影する。現実が1つのスクリーンだとすると、物語はフィルムであり、私は映写機である。私が好きな物語を、私なりの形で現実の中で実現する。
そんな関係性を使うと、勉強や仕事が頑張れたりして良かったりする場合がある。やり方を誤ると極端な行動を取ってしまうので注意が必要だけど。
モチベーション管理で大事なのは、相手が能動的に動ける状態を作ることと、相手の仕事をちゃんと見ていること。
人から言われた仕事をするのと、自分が選んだ仕事をするのとでは、意欲も責任感も変ってくる。相手の希望を引き出したり、方向性を共有したりといったことは、モチベーション管理をする上でけっこうやっている。
また、誰からも見られていない状態で仕事をするのはけっこう厳しいことなので、相手が「自分の仕事は確認されている」とか「作業内容に関心を持たれている」、「自分の作業結果を理解されている」といった意識になるような指摘や会話を行うようにしている。
最近の若い人は真面目な人が多いので、この2つを抑えるだけでけっこう能動的に働いてくれることが多い。
あとは相手が失敗した時に適切なフォローをすれば、信頼関係が築けてより仕事がスムーズに進むようになる。相手が恩義を感じるような行動を取ることは、どういったケースでも人間関係において大きなプラスをもたらしてくれる。
自営業っていうのは、誰からも見られない仕事が多いから、自己管理がけっこう大変。周囲の人たちは、そういう辛さを感じないで仕事をしてくれたらいいなと思うことがある。