2012年10月20日

衝動さんと理性さんによる勉強法

先日飲みに行った時に勉強法について喋った記憶があるので、文章にして少し考え直してみる。



私の勉強に対するスタンスはだいたいこんな感じ。

・その日やりたいと思ったことをやる
・将来的に見て自分の為になることをやる

この条件双方に当てはまることを手当たり次第にやっている。

後者の条件に当てはまらないことは極力やらないようにしている。ので、土日とかは用事がない限り朝から晩まで勉強らしきことをしている。平日も仕事から帰った後、深夜まで同じように過ごしている。



自分の中には2人の人間がいる。実際には6人くらいいるけど、便宜的に2人としておく。

1人は「楽しむ」ことを大事にしている。もう1人は「将来性」を大事にしている。

仮に彼らを「衝動さん」と「理性さん」と呼ぶことにしよう。

これから何をしようか考える際、彼らはこんな対話をしている。



理性さん「今日は何したい?」

衝動さん「ゲームやりたい。酒飲みたい。中村さんと買い物に行きたい」

理性さん「却下。プログラミングに関わることでなんかない?」

衝動さん「そうだなぁ、JavaScriptでドラクエ作ってみるとか楽しそう」

理性さん「JavaScriptか。為にならなくはないな。じゃ、それで」

衝動さん「わかった、作る」



「為になる」という言葉の方向性は、主に「40過ぎても50過ぎてもプログラマとして働けること」を意識している。

私はフリーランスで働いているので、歳取ってからも仕事を得られるかどうかはけっこう切実な問題。

50過ぎても良い条件でプログラマとして働こうと考えると、有名人になるか自分でサービスを立ち上げないと難しい。かなりハードルは高い。



どうしても遊びたい時は、遊びの方向性を屈折させる。

例えばゲームがやりたいと思ったとする。

でも、単にゲームをやっただけではあまり勉強にならない。将来にも繋がらない。

なので衝動さんがいくらゲームをしたいと言っても、理性さんはあっさり却下する。罵声を浴びせながら却下する。

それでもゲームがしたい衝動さんは、理性さんがなんとか認めてくれそうな提案をする。



衝動さん「脳トレとかどう?」

理性さん「微妙」

衝動さん「じゃ、北米版のゲームとか。英語の勉強になるし」

理性さん「英語かぁ。勉強しないといけない分野だし、まあいいか」



というわけで、我が家には逆転裁判の英語版とかが転がっている。

これが意外と役に立った。というのも、ゲームであれば朝から晩までやっても苦痛ではないので、休日に20時間くらい英語漬けになる時間が発生する。

2日も英語だけで生活をしていると、それがゲームであっても語彙力とかけっこう向上する。お陰で最近は、ニュースとか仕事中の調べごととかはたいてい英語サイトで済ませられるようになった。



やってみて役に立った場合は、理性さんは継続して遊ばせてくれる。

効果が感じられなかった場合は、遊び道具は没収されてしまう。ゴミの日に。

また、理性さんの言うことを無視して衝動さんが遊んでしまった場合は、後でコンコンと説教(罵倒)される。

自分が両生類のクソを集めた価値もないと思えてくるくらい長時間罵られ続ける。理性さんはかなり怖い人だ。ごめんなさい。ごめんなさい。私はクズです。もうしません。許してください。



こんな感じで方向性を限定しつつ遊ぶことを続けた結果、衝動さんは毎日深夜まで嬉々としてプログラムを書いたり、「Hadoop萌える」とかわけのわからないことを口走りながら英語の本を読んでくれるようになった。

衝動さんだけに任せていると先へ進めないシーンも出てくるので、たまに理性さん主導で勉強をすることもある。

何書いてあるか分からない専門書にかじりついたり、英語の論文を「意味わかんねぇなぁ」と言いながら読んだり。

理性さんが頑張ってある程度知識を揃えておくと、その後は放っておいても衝動さんがその分野で遊んでくれるようになる。

ただ、理性さんが頑張れるのは精神的にも肉体的にも負荷がかかってない時期に限られる。

仕事が忙しくてストレスもかかっている時に、家に帰ってまで苦行に打ち込むだけの忍耐力は残念ながら私は持ち合わせてない。昔は鍛錬すればなんとかなると思ってたけど、やり過ぎると反動で燃え尽き期間が発生して逆に効率が悪かった。

なので普段は衝動さん主導で動いて、余裕がある時やどうしても必要な時などに理性さんが動くようにしている。



この手法の良い点はストレスを感じることなく長時間勉強できるという点。空き時間はすべて学習時間にできる。

逆に問題点は、学習の方向性に統一性が欠けやすいこと。私は飽きっぽいので、あっち方面の勉強をしたかと思ったら次はこっちと一貫性のない学習の進め方をしてしまう。

計画表を作ったり、キャリアパスを夢想したりしながら方向性を持たせようとはしている。目標のためのTODOリストを見える場所に貼ったりもしている。

けど、衝動さんはよくそれらを無視してふと見かけた新種のソフトウェアに対して「なにこれ、萌える」と口走りながら飛びついてしまっている。それを止めて良いものかと考えると、悩ましいところ。

もう少し彼が飛びつくものをうまくコントロールできれば、この学習法はより高い効果を出してくれると思うのだけど。