とりとめなくダダ漏れテイストで。
JINSのパソコン用メガネ
普段は裸眼なのでメガネにはあまり慣れていないのだけど、軽いのでかけていてもそれほど違和感は感じなかった。
1週間かけてみたところ、長時間画面を見た後に感じていた刺すような痛みからは解放された。1日だけかけずに仕事をしてみたところ、また痛みが再発した。どうやら効果はあるようだ。
このメガネをかけてみて、1つ分かったことがある。ポメラ
起業がどうとかいう話を最近よく見かける。起業にはいろんな種類がある。
1. 自前で作ったサービスを売るなり公開して広告収入を得るなりして稼ぐ
2. フリーランスっぽい感じで自分の技術を他の企業に売って歩く
3. 他の企業から仕事を受託して稼ぐ
4. 投資をしてそれを回収する(貿易とか)
5. 店を構えてお客さんにサービスを提供する
などなど。
IT系の話で一般的に言われている起業は1を指していることが多いのだろう。
私はかれこれ7年近くフリーでやっている。今の仕事のままで法人化の手続きをして「起業しました」と言えないこともない。
どこか大きい企業とパイプを持ってれば、3の方法でもけっこう稼ぐことはできる。
いろんな会社の社長さんと話してると、4っぽい話はちょこちょこ聞く。今のタイミングで何をやると堅いみたいな。まぁ、堅いと言っても十分リスクがある話なんだけど。
4と5は置いておいて、1〜3はリスクを取らずにやることもできる。成功しても失敗しても学ぶことは多い。可能な範囲でやってみるのも悪くないかなとは思う。いろんな立場を経験することで知識の幅は広くなるし。
2と3は今でもやってるようなものだから、やるとしたら1か。来年、少し手を出してみるかな。
自営業をやっていて強くなった意識。
コスト意識。少し油断して価格設定するとあっという間に最低時給を割り込むようなロープライスな仕事になる。
時間対効果に対する意識。限られた時間の中で、1人の人間が、何を取捨選択していくか。選択によって収益や将来性などに大きな差が出る。
人脈に対する意識。人的ネットワークが広ければ広いほど仕事は増える。条件も良くなる。評判も広がりやすくなる。
自身の市場価値に対する意識。自分の市場価値が上がれば、条件の良い仕事が取れるようになる。どうやって価値を上げるかは常に考えている。
自身の評判に対する意識。悪評が立てばそれがどこで影響してくるか分からない。真面目にやって良い評価を得れば、それが後で良い話に繋がることも多い。多くの人から好印象、高評価を得ることを意識するようになる。
リスクに関する気構え。何かヘマをやって訴訟されたら一発で破産ということもありえる。十分に注意しつつ、同時に覚悟もしている。
健康への意識。身体を壊したら生活費も稼げなくなる。食事に気をつけ、身体の状態には常に気を使う。
将来仕事がなくなるのが当たり前だという意識。40過ぎればプログラマとしての仕事は減っていくことが予想される。稼げなくなって当たり前、生活できなくなって当たり前。だから今どうするのか。そうした考えを持って行動できるようになる。
起業して社員を雇うようになれば、また見える世界は変わるのだろう。人を抱えるなんて絶対にやりたくないことではあるけど。
ソーシャルサービスを利用すると、他人からの評価・反応が得やすい。他人からの評価・反応は人間にとって大きな価値を持つものらしい。脳から見ればそれはお金や美味などに近い「報酬」として認識される。
人間は群れ社会で生きる性質を持つ為、他者からの評価や群れの中でのポジションに対して敏感である。
ソーシャルサービスが多くの人に利用されるのは、そうした人間の本質的な欲求を満たす機能を持つからだろう。
おいしい食べ物が売れるのと同じように、風俗産業が今も昔も需要が減ることがないように、ソーシャルなサービスは売り物になる。
これらの傾向を利用した新しいサービスを考えるとしたら何があるか。
ソーシャルにおいて認められるという報酬を擬似的に体験できるサービス。擬似的なソーシャル空間において、賞賛の言葉が浴びられるサービスなどはどうか。
ソーシャルに流れている情報を変換して、キャラクターが喋っている感じで伝達するサービスなどはどうだろうか。実際にソーシャルに流れる情報を利用すれば、社会との距離を近くに感じつつ、同時にキャラクターが喋っている風に変換することでバーチャル感が発生する形になる。
Twitterは電話やメールよりも疎なコミュニケーションを実現するが、そこに1つ変換を噛ませることでさらに疎にできる。
問題は自身の発言の行き先か。言葉を発した際に答えが返ってこなければソーシャルとしては弱い。キャラクターが自動返信する程度ではダメだろう。
では、キャラクターというフィルターを双方に通したコミュニケーションはどうか。発した言葉は確かに誰かに届くが、確実にフィルタがかかる。誰とも知れない人々との、フィルタを通した不正確なやり取り。
匿名掲示板やタイムライン形式などの疎なコミュニケーションでもまだ近すぎると感じる人へ向けた、コミュニケーションの仮想化サービス。
スタンドアローンのゲームは、でっちあげられたソーシャル空間ともいえる。物語の登場人物の気持ちになって架空のキャラと関係を築くという意味で。
それに対してネトゲはでっちあげられた空間におけるリアルなソーシャルが生まれる空間。
ネトゲのコミュニケーションをSNS的とするのなら、スタンドアローンのゲームが持つコミュニケーション性を持つウェブサービスはどんなものになるのか。
スタンドアローンでありながらイベントと同期し、衆院選や日本代表戦などを「存在するけど存在しない」誰かと話し合う。
ふむ。何言っているのかさっぱりわからんな。