2013年10月11日

【読書感想】富美子の足

お客様の中に脚フェチの方はいらっしゃいませんか?

というわけで、今週の読書感想は富美子の足。1919年に谷崎潤一郎永世変態作家によって書かれた脚フェチな短編である。大正時代からこんな小説が書かれていたという事実は、たとえ僕らが少し変わった性癖を持っていたとしても、それはけして恥ずべきことではないと思わせてくれる。

大丈夫、僕らは大正時代から既に変態だったんだ。



あらすじ

脚フェチのご隠居さんが、病で余命幾ばくもない中で、美しい脚をした妾に額を踏んでもらいながら幸せのうちに昇天した。



感想

ページ数は少ない。30分もあれば読めるような短編である。

内容はそれなりに突き抜けており、脚フェチではない私はドン引きしながら主人公とご老体の勇姿を見つめることとなった。でもご隠居さんが幸せそうなのでその部分は良かったかとも思った。読む人間をドン引きさせるというのも、作品の力があるという1つの証拠ではないだろうか。

現代でこそフェチズムというものが一般化し、「俺、脚フェチでさ」などと臆面もなく言える時代になったわけだが、それでもふと腿あたりを指しているのが一般的で、くるぶしや足裏などに対して執着する姿を見せるとさすがにドン引きされることが多い。

このようなフェチを大正時代に抱えていたとしたら、さぞかし孤独であったのではないだろうか。

私も半袖のTシャツを着た異性に対する謎のフェチを持ち合わせている。あまり理解されることがないので他人に語ることはないが、膨らみや曲線に対するこだわりではなく、肉体を覆う布と外界との距離感に対して、強い好意を抱いているのである。人は裸体ではなく着衣にこそ美があると考える者は多いが、完全に覆い隠された着衣は衣服としての美しさが先に立ち、肉としての美しさが影を落とす分量がはなはだ少ない。では水着やミニスカートがいいのかと言われれば、これは逆に肉の影が強過ぎ、原色のみで描かれた絵画を見るようで、少し辟易としてしまうのである。そう、Tシャツという1枚の柔らかい布。確実に必要な分量の肌を隠し、柔和にたおやかに肉と外界とを隔てるその布こそが、私とその裏にある肉との間に心地良い距離感を作り出してくれるのである。風や汗などによってめまぐるしく距離感を変えるその姿は、時として遠く仄暗い光として、時として強く射し込むような光として、私の心を撹乱し恍惚と……

いや、なんでもない。忘れてくれ。